鹿鳴館と社交ダンス

東京都千代田区の帝国ホテル付近。日比谷通り沿いに、かつて紳士淑女がダンスの輪を重ねた社交場があった。鹿鳴館だ。
不平等条約改正のために政府が進めた欧化政策の麗しき花だ。現在、跡を示す石碑は残るが、昔日の壮麗なる面影はない。
過剰な欧米かぶれに批判の声が高まり、推進した井上馨外相の失脚に伴い、鹿鳴館時代は数年で幕を閉じたといわれる。

その後、大正期には初のダンスホール「鶴見花月園舞踏場」が横浜に開業。
舞踏研究者の小寺融吉は1928年、雑誌「民俗芸術」に日本には社交舞踏というものはかつてなっかたと発表。
第2次大戦中は「敵性娯楽」と弾圧されたが、戦後すぐに占領軍用ホールが開業し、息を吹き返した。
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by 52678 | 2018-11-27 06:01 | 話題