2017年 09月 15日
松永弾正は忠義の人
一、将軍を殺した。二、主君を殺した。三、東大寺大仏殿を焼いた。事である。
ところが、天理大の天野忠幸准教授の研究で、これらの逸話は、後世の創作や誇張で、実際には忠義の人だったことが明らかになってきた。
天野氏の説によると、一、足利義輝は殺されるが、攻め込んだのは、息子の久通だった。二、主三好長慶には逆らわなかった。三、大仏殿は故意に焼いたのではない。
翌年には再興に尽力している。他に、有名な爆死も、後世の創作という。
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| 2017-09-15 07:25
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