2017年 07月 13日
西郷隆盛は征韓論者ではなかった
明治6年、朝鮮への西郷の使節派遣が決定された。しかし、欧州視察から帰国した大久保らが反対。西郷は、政府の職を辞し、西南戦争に至る。
だが。大阪市立大学名誉教授の毛利敏彦氏によると、閣議で征韓論を吐いたのは板垣退助らしい。
大久保らが一貫して朝鮮使節に反対していたことは、日記や書簡から直接に証明できない。
死後、大西郷が朝鮮侵略を唱えたという事だけが広まり、旧日本陸軍も大陸進出の正当化のため、彼を利用した。
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| 2017-07-13 08:09
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